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硝子越しの日々

エロゲを中心にアニメ、漫画、小説などの感想書きます

はつゆきさくら考察~今を生きるということ~

総評

 公式HP

はつゆきさくら

vita版HP

www.entergram.co.jp

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プレイ時間・・・37時間

シナリオ・・・・10

音楽・・・・・・10

CG、演出・・・・8

キャラ・・・・・10

総合・・・・・・10

 

エロゲ界トップレベルの泣きゲー。シナリオゲーでよく一人のヒロイン√だけが良くて、他のヒロイン√はとってつけたような物が多いが、このゲームはそんなとことがなかった。全ての√に余すことなく感動が散りばめられていた。泣きゲー好きの人には胸を張っておすすめできる。

 

サウンドトラック、OP、EDも粒ぞろいで素晴らしい。BGMのタイトルの一部が対になってたりして面白い。『冬を愛する人』『春を愛する人』とか。もう1対あるけど、ネタバレになりそうなので出さないでおく。

それとEDの『風花』と『GHOST×GRADUATION』は聞いているだけで鳥肌が立ってくる。

 

雪が降る動きや桜が舞う動きを取り入れたのが気に入った。キャラ絵も良かったと思う。

ただ不満な点は貼っつけたような動かない立ち絵があることと、モブに声優の使い回しが多いことである。特に声優に関しては、その使い回しのモブの声に滑舌の悪い奴がいた。そういうわけでCG、演出は2pt下げておいた。

 

好きなキャラは夜と桜。

 

全体的な評価を言えば、雰囲気がよく表現されたゲームだと思う。個別√に入るのに全く関係ない選択肢も、やり終わった後から、雰囲気を出すために必要なものだと感じた。何をやっていいのか分からないプロローグの場所選択はBGMと合わさって、白い何もない不思議な世界観を味わった。最後の卒業式の場面もその例である。こちらはやってみてから考えて欲しい。

 

はつゆきさくら 通常版 - PS Vita

はつゆきさくら 通常版 - PS Vita

 

 

 

はつゆきさくら コンプリートサウンドトラック

はつゆきさくら コンプリートサウンドトラック

 

 

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 例の貼っつけ立ち絵

 

 

 

※次から考察に入ります。ネタバレ含みます。

死者と生者

 死者と生者はこの物語では単純に死んでいるか生きているかという意味だけではなく拡大解釈して捉えてみようと思う。それを一番良く体現しているのは綾である。彼女は弟のアキラを失って、自分は卒業しないほうがいいと過去に未練を残しながら生きていた。そんな中ゴーストになったアキラは初雪に次のようなことを言っていた。

 

「やめておけ。あの女に深入りすると後悔するぞ」

「どういうことだ」

「くく・・・あの女はゴーストなんだ」

「なんだって」

「いや、ゴーストとも違うな。幻のような、存在するはずのない、女なんだよ」

 過去へのためらいはゴーストに少し近づいた『死』ではないだろうか。

 

またGraduation綾√でも実際死んでないのに死んだかのよう扱われる場面がある。

過去の初雪と恋仲だった記憶を取り戻した綾は、過去のため初雪とともに悪役に回ってでも彼の復讐を手伝う。

以下は綾と霊媒師の宮棟の会話である。

「いくら刺したところで、私の気持ちは消えはしない」

「だとしたら――だとしたら、もはや、あなた自身がゴーストになってしまったということだ」

 

 ここでもやはり過去にとらわれた綾を宮棟はゴースト、つまりは死者と表現している。

 

 死者はきっと過去にとらわれた人たちのことだろう。

 

では生者とは何なのか。

 

「俺もまたこの世の人間じゃないんだ。誰かと、恋などしてはいけなかった」

「ゆきち・・・・なにを」

「ゴーストを討つとはそういう意味だ

俺は現世を捨てる。ゴーストとなろう。」

初雪がゴーストチャイルドになる決意をするシーンでは、自らの意思で初雪は綾と一緒に過ごす未来への希望を捨て去っている。死者になるためには希望を捨てなければならない。死者と生者が対をなしていると考えるなら、生者とは未来に希望を持つ人たちだろう。

 

 

 

また、初雪は自分はどうせパレードの日にはこの街から消えてしまうからとあらゆる場面で諦観するが、実は未来に希望を持てないから死者なのであって、逆に希望が持てれば、生者として生きていけるのでは。

 

 

 

 

復讐

 この物語において復讐というのは非常に重要なキーワードのような気がする。

爆破事件でなくなった人たちの復讐として初雪は爆破テロを起こすし、ランはその復讐に加担している。

夜も、アイスダンスで怪我した選手に復讐として嫌がらせを受け、逆にそれを受けた彼女は街を呪おうと復讐する。

ゴーストとして復活したアキラは復讐を繰り返すうちに、復讐のために復讐するようになる。

正義漢である妻ですら、自分を庇って懲戒免職となり死んでいった剣道部顧問が、悪く言われるのに耐え切れず、卒業式で復讐を果たそうとする。

 

強制BADエンド√の宮棟監督の劇のシーンの内容(引用じゃない)

一人の仮面の男が一家団欒の中、父親を刺し殺す。

ほかの家族は仮面の男の存在に気づいていない。

やがて刺された男も仮面の男となり、街の人々を次から次に刺していく。

そして刺された人々はまるでゾンビのように

皆、仮面の男になっていき、共に住民を刺殺しまくる。

そして街は黒いマントを被った仮面の男しかいなくなり、滅びの世界へと変貌する。

 

 復讐が復讐を呼び、最終的には収集がつかなくなる。だからこそ復讐をやめるべきだと宮棟監督はそう言いたかったんだろう。この呪いの連鎖を断ち切るべきだと、初雪に訴えかけたのだろう。

 

復讐がダメな理由についてもう少し根本的な解釈に気づいたのだが、ここまでの考察ではたどり着けないので後ほど記載する。

 

幼桜

 この小さい方の桜を幼桜と呼ぶ事にする。

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 幼桜はパーティーで初雪と許嫁になった日に爆破事件に巻き込まれて死んでしまう。

それからゴーストとなり、母親に説得されて、初雪を助ける決心をする。

 

 

しかし、幼桜は初雪に認知されない。彼の独り言に答えてもほとんどレスポンスは得られない。それどころか、一緒に過ごしたパーティーの日のことさえ忘れられてしまっている。

 

けれども彼女は初雪の傍で認知されなくても応援し続ける。

 

「王女よ。声も届かぬ、思い人を見守り続けるのは、辛くはないか」

「  ・・・・・・

    少しね

 

でも、不思議。話せはしないけど、こうしてあの人を見守りながら、

 季節が巡るたびに・・・・・・

 

   どんどん好きになっていくみたい  

 

 

 このシーンのあと、挿入歌で『Presto』が流れ、季節が巡りながら、幼桜と初雪の意思疎通がたまたま可能になった場面という感動的な回想シーンとなる。

 

初回は涙したが、よく考えてみると10年間も好きな人に無視し続けても、それでもなおさらに好きになるなんてことがありえるだろうか。違和感を感じた。おかしいじゃないか。

 

 

 

狂気

 おかしいとはつまり狂ってるということだ。そういえば、初雪は『狂気』が存在しなければ人の気持ちは成り立たないと言っていた。

「いつだって、誰にだって、狂気が存在するものだ。

 それを取り除いてしまったら、きっと、人の気持ちとか魂みたいなもの は成り立たないんじゃないか。

 

         お前と過ごした時間も

         ランと過ごした時間も

          桜と過ごした時間も

 

 

      そこにはいつも狂気が介在していた。

    けど、だからこそ、かけがえのないものだった 

 

 

 桜の10年間の加速する愛も『狂気』だとして、『狂気』とは一体何なんだろう。

 

初雪の『狂気』は綾、ラン、桜のそれぞれに存在すると考えるのは難しい。これを『愛』とするアイデアが浮かんだが、初雪はそこまで狂っていないような気がする。

 

一方、化物となった初雪のそばにい続け、爆破テロを起こそうとする初雪を手伝い、彼が逮捕され、刑務所から出たあとも、共に生きようとする綾は十分狂っているだろう。

 

もう一度、Graduation綾√での綾と宮棟の対峙のシーンについてもう少し詳しく触れようと思う。

 

「あなたはなぜ彼のそばを離れないんですか」

「・・・・」

「見えるでしょう。反魂香によって、あなたの目にも彼の正体が

 あれは、いくつもの復讐の妄念に取り憑かれた化物だ。ゴーストの王で すよ」

「それがなに、ゆきちはゆきちだ」

「・・・・」

「バニッシュ」

「うあっ」

「あなたはとりつかれている」

「かもしれないね」

「あなたにとりついたゴーストを、滅ぼしましょう」

「バニッシュ」

「うぐっ」

「バニッシュ」

「ふ・・・・コッケイだな」

「・・・え?」

「きみたちだって、いったい、なんでこんな真似をしている。誰がゴーストにつかれていようが、ほっとけばいいんだよ

 人のことをゴーストゴースト言うけど、君たちこそ、いったい、人の気持ちがちゃんと見えているのかい」

 

宮棟はゴーストに加担する狂っているように見える綾を、ゴーストにつかれてるからだ、と解釈して従者とともに除霊しようとするが、綾は自らの意思で行動している。

全てゴーストのせいにして、生身の人間のくせに、人の気持ちに気づけない宮棟を滑稽だと評している。

 

「バニッシュ」

「ぐ・・・・っ」

「なぜだ、なぜ正気にかえらない」

「はぁ、はぁ・・・・はぁ・・・・」

「私は、もう失いはしない

 彼への気持ちを

 いくら刺したところで、私は消えはしない」

「だとしたら――だとしたら、もはや、あなた自身がゴーストになってし まったんだ

 河野初雪のように、存在そのものが、ゴーストになってしまったんだ

 哀れな。あなたが救われるには、もう、死ぬ以外にない」

「は――

 死ねば救われるのか!?人の苦悩も、愛も、そんなに簡単なものだとい うのなら

 やってみろよっ! 」

 

このあと宮棟の従者はバニッシュと唱えながら綾を斬りつけまくるが、もはや除霊とは関係なくただ物理的に斬りつけているだけである。

「この痛みが、血が・・・・私の気持ちだから。見てよ、初雪」

綾はゴーストなんかじゃなく、血を流し、今を生きていた。

 

さて、先ほどの引用から『狂気』の一つが『愛』だとするなら、『苦悩』も『狂気』の一つではないだろうか。そう考えると『狂気』とは人の気持ちや感情のようなものだと思えてくる。宮棟が理解できない、狂っていて普通じゃないものということから

 

『狂気』とは、『自分にしか感じられない他者には理解できないほどの強い感情』のはずだ。

 

 

それを初雪について考えるなら、ランが殺され街に放り出された頃の苦悩は不良Aが知るわけがないし、

ゴーストチャイルドになる覚悟を決め、綾の記憶を消して別れた後の感情を剣道部員Aは感じ得ないし、

桜を目の前で消された後の絶望を男子生徒Aは体験できない。

 

 

狂気part2

 一応は筋が通る答えではあるが、腑に落ちない箇所がある。

「        お前と過ごした時間も

         ランと過ごした時間も

          桜と過ごした時間も

 

 

      そこにはいつも狂気が介在していた。

    けど、だからこそ、かけがえのないものだった 

 

 さっき挙げた初雪の例は全て大切な人を失った後の感情であって、一緒に過ごした時間に存在する狂気ではないのである。この問題には物凄く悩まされた。自分自身が狂気しているのではないかと思える程に。

 

そこで解決の糸口となったのが、今まで綴ってきた狂気というのが、抱き続けた感情だというところである。

 

・自分にしか感じられない他者には理解できないほどの強い感情

 

これを狂気の本質としたとき、どうしても強い感情というと思い続けなければならないと考えていたフシがあった。

 

しかし刹那的に強い感情を抱くことがあるではないかと思い始めた。むしろ刹那的な強い感情こそ狂気ではないか。相手の態度にイラっときたり、再会できた喜びっていうのはやっぱりどんなに強い感情を抱こうとそのうちに忘れていってしまう。

そう考えるなら、思い続けるとは、一瞬のうちに感じた感情を過去になっても、ずっと記憶に留めておくということだろう。

 

 

初雪は父親とゴーストたちのいいなりになって主体性というものがほとんどない。そんな彼が、ランと過ごす時間の中で、自分で志望校を選んだ。自分で行きたいという感情を抱いた。この一瞬の出来事はこの行動は彼の普遍から逸脱している。違和感を感じずにはいられない。狂気である。

 

綾とともに教師陣に呼び出しをくらい、綾を悪く言われたとき彼は怒った。他人に無関心な初雪が他人のために怒った。この一瞬もまた彼の普遍から逸脱している。おかしいじゃないか。狂気である。

 

桜の二位一体一発芸を見たときに、彼は笑った。初雪は怒り以外の感情を表に出さないから不良と恐れられていたはずだ。なのに笑った。この一瞬もまた周りの人間の評価を逸脱している。狂気である。

 

感情とか流れる血とかは絶えず変化する一瞬一瞬であり、『今』を生きている証拠である。狂気とは『今』を生きている証拠の一種である。

 

ずっと抱き続ける狂気というのは、出来事自体は『過去』であるが確かに『今』を、痛みを感じながら生きている。つまり『過去』を背負って『今』を生きる生き方なのである。

 

そして宮棟たちが綾を消せなかったのは、きっと彼女の『過去』と『今』がつながっていたからなのだ。

 

綾は過去の記憶を取り戻した。この時から彼女の『過去』を背負って『今』を生きている。

「 私はもう失いはしない   彼への気持ちを 」

狂気とは決してゴーストではないのだ。

ゴーストとは、『今』と断絶された『過去』でなくてはならない。

 

 

復讐*再考

 以上のことを踏まえて復讐について考えてみる。

 

復讐とは過去の出来事に関して相手に仕返しをすることである。人を呪わば穴二つ、それでまた自分にも復讐が返ってくる。復讐が復讐を呼ぶ、それがいけないから復讐するな――前のタイトル〈復讐〉ではここまでにとどめておいたはずだ。

 

まず、復讐される側の視点に立って考えてよう。例えば、夜√について。

 

夜はアイスダンスの試合で相手の棄権により優勝してしまう。

棄権した優勝候補であった選手は自分の立場を奪った夜に対して、復讐として、嫌がらせを始める。

夜側からすれば、それは全くいわれのないことで、因果関係が崩壊している。直接手を出して足を骨折させたならともかく、夜が呪ったから試合に出れなくなったとか完全に難癖つけている。自分の従姉妹を利用したり、不良男を金で雇って夜の悪評を広めたり、相手はスポーツマンシップのへったくれもないクズである。

 

話を戻すと、夜の立場からすれば、原因と結果が繋がっていないということだ。それはつまり『過去』と『今』が繋がっていないということではないか。妻に卒業式ジャックされるはずだったモブ生徒たちは剣道部顧問のことなんて忘れているだろうし、アキラの復讐として初雪に殴られた不良男たちは単に初雪にいきなり殴られてとしか思っていない。はつゆきさくらで登場する復讐というのはされる側からすれば必ずといっていいほどいわれのないことだ。

 

 以上から復讐とは、少なくとも被害者側からして『過去』と断絶された『今』を生み出す行為である。

 

 

他者とのつながり

 

 つながりと言えば、はつゆきさくらでは他者とのつながりも大切にされている。

綾が狂気してまで初雪とともに戦うのはカンテラオーナーに説得されたからだ。

彼自身、犯罪者になり大きな十字架を背負うことになるでしょう

けど、魂を失い抜け殻として生涯を終えるよりはいいでしょう

役目を果たした暁には、彼はこの街を離れ、名前を捨て、過去を捨て・・・

やっと新しい季節に踏み出すことができる

だけどたった一人では寂しすぎる。誰か一人でも、彼を知っている人が側にいなければ、それはやっぱり死んでいるのと同じこと

 

 一人でもいいから誰か側にいないなら死んでいるのと同じこと。

でもその寂しさという『狂気』で生きられはしないだろうか。『死んでいるのと同じこと』って何なのか。

 

もしかしたら、『狂気』っていうものはまっとうな生き方じゃないのかもしれない。

むしろ狂っているのだからまっとうなわけがない。

 

幼桜は無視されても初雪に話しかけ続け、応援し続けた。

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 死者は『過去』、生者は『未来』、狂気は『今』という風に考えていたことを思い出して欲しい。

そうすると幼桜は『過去』と『未来』から切り離された孤立した『今』を生きていることになる。(実際は死んでいるが存在としては生きている)

 

初雪にパーティーの日の出来事という過去は忘れられてしまったし、たまに会話が成立するにせよ、話のレスポンスという近未来は期待できない。

 

一方初雪は綾√でこんなことを考えている。

俺は消えるべきだった。

少なくとも、この学園から。

誰とも口を聞かず、呪うような表情でクラスメートに煙たがられるくらいなら、さっさといなくなるべきだった。

それでもこんな隅っこに止まり続けたのは・・・・ランとの約束のためだけじゃない。

甘ったれた、未練のせいだった。

まるで街を彷徨うゴーストどものように。物も言わず、惚けたつらで生き続けていた。

生者にも死者にもなりきれず・・・・

 当時の初雪に関して、不良として本当かどうかわからない噂が跋扈していたし、明日に希望も持てず、未練という狂気によってその場しのぎの生を送っていた。ここでやはり彼の生活に関する『過去』はちぐはぐだし、『未来』に希望なんてものは存在しない。

 

 誰にも知られないというのはきっとその世界で自分の『過去』が存在しないのと同じだろう。

ゴーストが自分自身の姿を見れないように、人間だって自分で自分の姿見るなんてことはできない。

自分自身を見つめるには他者から自分の『過去』を引き出すしかない。しかし初雪達にそんな相手がいなかった。初雪と桜が互いに認知し合えたなら可能だったろう。

他者が自分の『過去』を持っていないのだとしたら、それはその世界で生きてきた証がないということだ。死んでいるのと同じことだ。

「痛みは正しく循環しなければならない

痛みを受けたならば・・・・一人で抱え込まずに、その痛みを、誰かに受けてもらわなければならないのです

溜め込み続ければ、やがて邪念に心を侵され、気付かないうちに、ゴーストに変貌してしまうでしょう」

宮棟のセリフの引用だが、初雪の父親も同様のことを言っていたのでカスガ家の家訓かなにかだろう。初雪の父親は復讐の際にこの家訓を持ち出すが、宮棟は復讐を否定しつつこの家訓を使う。

復讐は『過去』と『今』が断絶されるので正しい循環にならない。逆に正しい循環のためには相手の『過去』と『今』が繋がったまま、自分の『過去』である辛い気持ちを覚えておいてもらう必要がある。そうすれば自分の『過去』と『今』も繋がるし、苦悩を抱え込まずに済む。ただし他者とのつながりがないと成り立たない。

 

 

一方、『狂気』とは誰にも理解できない感情なのだから、他者の知るものと成り得ない。自分のみが感じ得ることが出来るのだからこそ、自分自身で覚えておかなければならない例外的な『過去』になるのだろう。『かけがえのないもの』っていうのはきっとそういうものだ。

 

だとしたら初雪と桜が『過去』と『未来』から孤立した『今』を生きているというのは矛盾している。『過去』と『今』は繋がっているが、彼らの『過去』は自分自身のみが持っている。世界から孤立している。一人ぼっちが二人である。そして彼らは常に自分自身の『過去』を記憶しておかなくてはならない苦行を強いられている。

 

他者とのつながりというのはそういう苦行から解放してくれる。狂気は別にして、理解してもらえる感情というのは誰かに知ってもらわなければならない。痛みは正しく循環しなければならないのである。

 

 

未来

 さて、『過去』の話は終わったがまだ『未来』の話をしていない。

生者とは未来に希望を持った者である。『今』という視点から明るい『未来』が見えていなければならない。

一番生者としてしっくりくるのは桜だと思う。(実際はゴーストだけれど)

「それでいいのか。そんな意味わからないことやらされて、素直に従うのか」

「最初は戸惑ったよ。いきなり学園に通わされて、ゴーストを探せって・・・

でも、それでも見つけたいものがあったから。それに・・・それとは別に、理由が出来たから」

「理由?」

「毎日学園に通う理由。がんばる理由。生きる理由

わからないこといっぱいあって、不安もあるけど、それを我慢していれば学園に通えて、友達と会えて、なにより好きな人と一緒にいられるなら」

 

 

 桜は明日に希望をもって生きている。ポジティブで生き生きしている。可愛い。

 

 

 でも誰もがポジティブに生きられるわけではない。

初雪は、ランの言いつけ通り卒業しようとする一方で、それが叶わないことに気づいている。卒業式前のゴーストパレードの日に街をされなければならないからだ。だからこそその先の日々を諦観している。ポジティブに生きられるわけがない。希√で妻の罪を被るのも、どうせ卒業式には出られないという諦めに基づいている。

 

 

では彼が生者に至るにはどうすればいいのか。

 

 

未来に希望をもてない人間は他者から希望をもらえばいい。『過去』について他者に苦痛を知ってもらい、痛み分けをするなら、『未来』について他者から希望をもらうことだってできるはずである。

 

そして希望とは他者の『応援』『励まし』によってもたらされる。

思えばこの物語は応援と励ましで溢れていた。

 

 

私が一緒にいるからね。立派になろう

がんばれば・・・あなたは、明るい場所にたどり着けるから

それまで私が、応援してあげるからね

 

   

いつでも帰ってきて。私が守ってあげる

 

            

ねえ、ゆきち。誰かは、ちゃんと知ってるんだよ

誰もが君を不良だとののしっても。怠けものだと非難しても・・・

分かってくれる人はいる

誰も、君をがんばったなんて、思ってないかもしれない

だけど、そんなことないんだ。

どんな形でも、最後のほうまでたどりついたなら、確かにがんばったんだよ

そのことを、忘れないで、あと一歩、がんばれたらいいね

 

(大丈夫。そばにいるよ)

 

俺たちにも!

俺たちにも手を伸ばして欲しいぜ・・・

ここにいる皆、初雪の力になりたいだけなんだ

 

 

ファイト、ファイト!

 

 

でも、聞かせて欲しいです。何があったかを

先輩が何に苦しんできたか

そうしたら、皆で考えることが出来るんじゃないですか!?

 

 

「卒業、しよう」

「・・・・え?」

「あなたは一人じゃない」

「河野!!」

「初雪っ。行かないでくれ」

「先輩!!」

「河野ぉ!」

「てめぇ、引きこもってるなよ」

「外にあんなにたくさんの友達が、あなたのために集まってくれてる

それがあなたが三年間、がんばって得たものなんだよ」

 

「なんで俺って・・・どこでも一人なんだろう」

「・・・・」

「あ・・・・」

「私がいるよ」

 

 

 

 物語の終盤、初雪はホワイトグラデュエーションの皆に励まされ、さらには桜にずっと支えられていたことに気づいた。最愛の人を目の前で消され絶望していた彼が生者に至れたのは、同じく最愛の人から生きる勇気をもらったからだろう。

 

もしも。

生者が夜な夜な死者の夢に焦がれるように。

死者もまた、生者の夢を見ているなら。

もしも、彼らが・・・・俺の夢を見てくれるというのなら。

そんな、懐かしい人達のために

生きてみても、いいかもしれないと・・・・。

このクソったれな世界で。

 

 

 

 

観念の世界

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 我々は忘れない。けれど、今を、生きるためには、復讐に囚われ続けては進めない。平穏は訪れない。

自らのうちにある、無念を、義理を、けじめを。

いくつもの、心を、殺しながら・・・何食わぬ笑顔を浮かべて生きなければならないときがある。

それが大人というものです。社会に生きるとはそういうことです。

それでも、どこかで忘れてはならない。実生活の中で滅び去るしかなかった者達を、せめて観念の世界で生かし続けたいと思うから。

だから私達は、この劇を作り続ける。

置き去りにされた哀れな魂達に。この劇を、捧げ続けるのですよ。

そうやって今を生きることだって出来るのですよ。

創作とは。芸術とは。許されずさまよい続ける想いの救いの場なのです。

 

観念の世界を作り出すことは、『今』の生き方の一つであり、過去との決別方法の一つである。痛みを分かち合い他者に記憶してもらうことで過去と決別する方法を前述したが、なるほど、創作として出来事を記録するのもまた過去との決別方法である。しかもこの方法だと他者を介さないから『狂気』すら自分の外部に保存することができる。

創作物とはいつでも見直すことができ、その度に当時の気持ちを思い出すことができる。観念の世界とはいつでも『過去』と『今』とを行き来することができる優れものである。

 

初雪達は『狂気』を自らの記憶に留めて忘れまいとしていた。これも『今』の生き方の一つだろう。間違っちゃいないと思う。

 

今思えば、綾と宮棟の対峙シーンで、宮棟が綾をバニッシュ出来ないことを疑問に思っているのは、『狂気』を自分の心に残すことが『今』の生き方の一つだと気づいていなかったからだろう。彼女は観念の世界というより優れた方法を、先に知ってしまったので、もう一方の生き方を知る必要がなかったのだ。

 彼女は『過去』に対して早々に見切りを付け、心を――感情を、殺して生きてきたのだ。『狂気』なんて知るはずもない。そして『狂気』を持ったものが今を生きるものであることも。

 

宮棟のように、 いくつもの心を殺しながら何食わぬ笑顔を浮かべて生きている者を大人というのならば、

強い感情を背負って心を生かしたまま生きている者は子供と言えないだろうか。

思えば子供がよく泣き、よく笑うのに対し、大人は葬式ぐらいでしか泣くことがないし、表情筋を引きつらせながら生きている。

 

初雪のように『過去』の懐かしい人達との邂逅のために、『狂気』を背負った者は“ゴーストチャイルド”と呼べないだろうか。

 

 

 

卒業式

 「それに・・・なんていうか、心残りがあったんだ。

それでつい来てしまった」

「卒業式に心残り?学園生活でやり残したことでもあるのか

誰でもそんなもんだろう」

「いや、卒業式自体に、だよ」

「卒業式自体に?」

「学園生活には何の未練もない。そもそも、

別に希望なんてなかったからね」

「お前は・・・怖いこと言うなよ

で、なんで卒業式に未練なんかあるんだよ」

「あのとき、気付けなかった何かが、あったのかもしれない・・・」

「?」

「卒業式の日、私は感じたんだ。卒業の神様の存在を

それは本当は・・・感じるだけではダメだった。

あのとき確かに、見つけるべきだったんじゃないかって思った

今日、この日、ここに来れば、あるいは、ってね」

「見つかったのか」

「さぁ・・・ね」

「・・・・そうか」

「俺も未練があるんだ。卒業式に」

「未練って。今日がその卒業式じゃないか」

「やり残したことがあるならやっておきなよ」

「いや、去年の卒業式に」

「え・・・」

「・・・」

「本当は伝えたかったんだ」

「お前が・・・綾が覚えていようが、覚えていまいが」

「・・・ゆきち」

「恋人だったとか。それは別にしても・・・」

「感謝していたから、伝えようと思った。

だから・・・・

卒業おめでとう。綾」

「やぁ。未練が消えてしまった」

「これで私も晴れて卒業か」

「じゃぁゆきちも」

「ん?」

「卒業おめでとう」

 

 「卒業おめでとう」ってとても不思議な言葉だと思う。

 

言われると胸が温まるというか、そういうところが応援や励ましの言葉に似ている。

 

「おめでとう」という言葉は頑張ったものへの祝福の言葉であると同時に、応援の言葉であるかもしれない。

今までがんばってきたことを大切な人に「おめでとう」と褒められたら、きっとすごく嬉しいだろう。そしてこれからもがんばろうと思えるだろう。そんな思い出があれば、きっと思い出すたびにがんばる勇気がもらえる。そんな明るい狂気も存在するのだ。

   卒業式というのは、案外、無理矢理にでもそれを提供してくれる行事なのかもしれない。

 

 

 
 
 
 
巡る春夏秋冬
 
終わる1095日
 
 それは幻のように、通り過ぎてしまうのだろうか
 
ゴーストのように、消えていくのだろうか
 
 
 けれど桜のように
未来へ 再び花開く予感を残して
 
 
 
 

 

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卒業おめでとう―――